20th
▼ なぜ人は大学に行くのだろう。結構不思議だ。大学で学べる程度の知識であればほとんど本を読めば足りるのだから。
と考えるていると、突如思いついたのは、大学という制度が出来た頃にはまだ印刷術がない(グーテンベルクは15世紀)。ということは講義をしてノートを書くというのが唯一の効率の良い大量複製技術ということになる。
もちろん現代においては知識の複製のためであれば講義は意味がない。
だとすると残る意義は、質問できることだが日本人はあまり質問しない。あとは本より生身の人間は注意を引きつける力がつよいこと、同じ事を学んでいる友達がいること自体が学習を促進させること、友達と議論できることくらいだろうか。
大学に行く意義があったと本当に思うのは、あの図書館があったから、だったな。2,3万円の本とか自分じゃ買えないし、専門雑誌のアーカイブとか普通の図書館にはあまり無いから。
(via pdl2h)
個人的な問題もあるのだが、大学に入って初めて学ぶことの喜びを知ったなぁ、俺は。それまでは事前に記憶してテストで吐き出すだけっていう単なるinput/outputが勉強っていう世界だったからなぁ。とまで言ったら言い過ぎかも知らんけど、そんな感じかな。
(via vmconverter)
すげー昔にWeb日記に書いたけど、論理的な文章の書き方とか調査して根拠をあげて主張するとかみたいなコミュニケーションの基本を高校まで全然教えないよね? 四則演算とか文字とかの基礎中心で。「まぁ調べてないけどこんなもんでしょ。常識的に考えて」ってコスト感覚じゃなくて、徹底的に追求して粘着してもキモがられずに、粘着するのが当然な雰囲気ってのも高校まではあんまり無かったよね。(西尾さんやその他の人の話によると、灘とか麻布とかは雰囲気が違うらしい。が、それは話から除外しとく)